親と言う存在
どんな親御さんでも必ずお子さんやお孫さんの幸せを願っていますが、
離れて暮らしていれば尚更その想いも強まったりします。
子供や孫が、怪我や病気になったら「良い病院に行っているのかと心配する」
受験生の孫には「ご利益のある神社はどこか、と探してお守り授かりに出掛ける」
正月や一年の健康祈願に「ご利益の有りそうな神社や寺院に初詣に出向く」
未婚であれば心を痛めて「良縁の縁結びの神様に詣でる」
子宝に恵まれなければ「陰ながら神棚に手を合わせる」
このように親という存在は、
どんな状況下にあっても人間の本性として、自らの子供たちを護ろうとし繁栄を祈るものです。
ご自身としても、まさに「子を持って知る親の恩」を痛感された覚えもお有りのことでしょう。
思えば両親のその両親たちや祖父母たちが、
その子供や子孫たちにどれほどの想いを寄せ、どれほど心を痛めて心配していたことでしょう。
子供という存在は、自身の将来のための時間を過ごしている期間ですが、
その子供の親たるものは、親の視点と立場から本気になってその子供の将来を考えるべき存在です。
連綿として伝えられてきた自分の命を、さらに次代に継がせていくため、
その子に何を伝えられるのか、また何を伝えるべきであるかを思う存在です。
子供や子孫達の幸せを願うには、その子の命は単に1個で存在する命ではなく、
長い長い命の伝承というリレーの中以外には、
決して存在しえない命であることを身に付けさせなければなりません。
親が子供に伝えるべきこと
人としての思いやりや優しさといった人間性は、一朝一夕では身につきませんし、
何より人としての確かな基礎があってのことです。
心豊かな人間性の基礎を作るためには、必ずお墓参りに連れて行き、
先人の苦労と恩義に感謝をささげる姿を見せることです。
お墓参りをする親の背中をしっかりと見せて育てることが一番で、それ以上の人間教育はありません。
子供に対する考え方や教育方針は人それぞれであって結構ですが、
いずれ親になるべき子供に対しては、自分たちの生活は誰によって支えられているものなのか、
人としての根本を理屈抜きに身に付けさせるべきなのです。
子供は親の言ったことに必ずしも従わないものですが、
必ず親がやっていることを真似するのです。