上尾市の墓地
上尾市は埼玉県中東部の人口22万人ほどの市です。江戸時代には中山道の宿場町である上尾町が置かれていました。
現在の上尾市とその周辺は中世まで農村地帯でしたが、作物を育てるための用水の確保が困難だったため、より水が少なくても育てることができる麦などの畑作が行われていました。江戸時代に中山道整備の一環として上尾宿と呼ばれる宿場町ができましたが、当時は街道沿いの宿場の中では規模が小さかったそうです。
江戸時代が終わり、明治16年にはいると、日本初の私鉄日本鉄道が開通して上尾駅が開業したことから、上尾町周辺が発展し始めました。しかし、後の上尾市を構成する町村はこの発展にはさほど関係はなく、引き続き畑作中心の農村で、大正から1930年代までは養蚕も行われていました。
20世紀後半に入ると、上尾町は東京郊外のベッドタウンとして発展し、急速な宅地開発によって市街地は拡大していきました。現在では上尾駅からバスで20分という田園地帯に建設された西上尾第一団地・第二団地にまで市街地が達し、また、土地区画整理事業や宅地造成が進められています。その一方、上尾駅周辺には高層マンションが林立し富裕層による市中心部への回帰も起こっています。
上尾市は埼玉県が制定した4つの種類の「彩の国分権モデル市町村」のうちの1つ「彩の国中核都市」に指定されています。この彩の国中核都市というのは、埼玉県独自の制度で、3箇年で中核市に準ずる事務の移譲を県から受けるものの、中核市や特例市と言った国が制定する制度のものとは異なるものです。
新たに工業団地や重要幹線道路などが急ピッチで整備されてきた上尾市ですが、その開発に伴って散在していた数多くの野墓地が、地域ごとに集められて共同墓地となっています。
また、急激に増大した新住民による墓地需要に応えて、民営の霊園の開設も市およびその周辺には相次いでいます。
さて、このように急速に発展してきた上尾市ですが、鉄道交通は意外とシンプルなものとなっています。ひとつはJR高崎線と、もうひとつが埼玉新交通伊奈線です。JR高崎線はさいたま市大宮区から群馬県高崎市までを結ぶ鉄道路線で、県を超えてお墓参りにやってくる方にとっては心強い交通機関であると言えます。伊奈線については伊奈町から大宮駅までを結ぶ新交通システムで、埼玉県内を移動するのに欠かせない交通機関となっております。
どちらの交通機関も、上尾市周辺でお墓参りを行う際には使い勝手の良さが喜ばれることでしょう。
また、路線バスについても東武バスウエスト・朝日自動車・上尾市内循環バスと言った複数社の路線バスが市内を循環しているため、細かな移動にもしっかりと対応。移動に関する煩わしさを極力抑えた交通システムとなっております。
石の武蔵家では、この上尾市及びその周辺地域で墓地をお探しのお客様に対して、優良墓地情報を提供しております。墓地をこの周辺でお考えのお客様は、どうぞお気軽にご相談くださいませ。