横須賀の墓石
横須賀市は神奈川県南東部の三浦半島に位置します。
東京湾と相模湾の2つの湾に面しており、明治以来日本の国際的な港湾都市のひとつです。
この三浦半島には約2万年前から人が住んでいたという説もあり、
縄文時代の生活の跡地であったと見られる貝塚も市内に散見されます。
古墳時代には小規模ながらも古墳が作られており、
奈良時代中頃までは相模国から上総国へと抜ける古東海道も通じていました。
横須賀が本格的に繁栄し始めたのは江戸期からで、この横須賀は海上における首都への玄関口となり、
燈明堂や奉行所が置かれ、享保5年(1720)には浦賀に奉行所が置かれて以降、商業地として栄えていきました。
幕末に入るとここが黒船来航の地となり、観音崎灯台の点灯や横須賀製鉄所や横須賀鎮守府の設置、
横須賀線の開通などにより、横須賀市は日本における近代化・国防の要所として大きく発展し、
県内では横浜市に継ぐ市制施行を果たすことになりました。
昭和時代に入り大日本帝国海軍の一大拠点となった横須賀市は、軍事施設を持つ周辺の町村を併合していくことで、
ほぼ現在と同様の市域が作られるようになりました。
そのため横須賀市では昭和の大合併に伴う市町村の合併は行われませんでした。
戦後はアメリカ軍や自衛隊が駐留し、現在では東京のベッドタウンとして発展しています。
市内には大型の民営霊園や在来仏教の寺院などが点在しています。
お寺の墓地などで見受けられる墓石のほとんどは、立派な花崗岩製の墓石なのですが、
時々富士山の噴火で流れてきた溶岩を加工した小ぶりの墓石や柔らかい砂岩製の墓石も散見されます。
これらはいずれも硬い花崗岩が墓石として使用され始めるよりもずっと古い時代のもので、
たいていはすでに風化によって角が丸くなり、
そして彫刻されていた文字もほとんど読めなくなってしまっている古い時代に建立された墓石なのです。
墓地や境内の片隅で、長い風雪に耐えて、地面に半ば埋もれているかのように、
ひっそりと佇むこの小ぶりの墓石に接すると、人は何かを感じ、感慨を催さずにはおれません。
さて、お墓を建てる上で大切な要素の一つとしては、お墓参りしやすい場所に寺院や霊園墓地があるかどうかということです。
横須賀市の交通事情を調べると、鉄道はJR横須賀線と京浜急行本線・久里浜線の3つの路線があります。
JR横須賀線はJR東海道線やJR湘南新宿ラインから大船駅で乗り換えることで、JR新宿駅と結ばれていますし、
京浜急行本線・久里浜線は品川駅から直接横須賀市を結んでいます。
市内には京浜急行バスや湘南京急バス、横浜京急バスといった路線バスや、
横浜駅と横須賀市西地区を結ぶ高速バスが運行しており、市内・市外への道路を利用した交通アクセスについても安心です。
石の武蔵家では、横須賀市内の寺院・霊園に墓石を建てたいとお考えの皆様に、
墓石を建てる上で重要な要素となる寺院・霊園の優良墓地情報を提供しております。
こちらに掲載されている情報は、どれも石の武蔵家が自信を持ってオススメできる場所となっております。
もちろん掲載されていない情報もご紹介できますので、
横須賀市に墓石を建てようとご検討の際には、是非ともご相談下さいませ。