逗子市の墓地

逗子市は神奈川県三浦半島の付け根付近に位置しています。人口はおよそ5万7千人。
三浦半島北西部で相模湾に面し、北西に鎌倉市、南に葉山町、東に横須賀市北部、北東で横浜市と、それぞれ接しています。
三方を山に囲まれ、一方が海に面している自然の多く残されています。
そのために市では「自然の回廊プロジェクト~青い海、豊かな緑とまちをつなぐ自然の回廊の保全・整備に向けて~」などを策定しています。
また、鎌倉市と同様に古都保存法の指定都市となっていて、古墳群や各種文化財の整備や保存にも力を入れています。

逗子市は東京や横浜のベッドタウンとして披露山庭園住宅や鎌倉逗子ハイランドなどの新興の高級住宅街が見られる一方で、
鎌倉・葉山などとともに海水浴場のある湘南の観光都市としての一面もあります。
かつて逗子市は昭和18年(1943)には横須賀市に編入されていましたが、
昭和25年(1950)にいくつかの地区が分離独立した際に、三浦郡逗子町として再置されました。
昭和27年(1952)にJR横須賀線で結ばれるようになるとベッドタウンとして急速に発展し、
昭和29年(1954)の市制施行により逗子市となりました。

市内の代表的な寺院として、緑豊かな沼間の山稜に静寂な佇まいを留める医王山神武寺が由緒ある古刹として広く知られています。
奈良時代の神亀元年(724年)聖武天皇の命を受けた行基が、この地に十一面観音と釈迦・薬師如来を祀ったことに始まるとされ、
鎌倉時代には、源頼朝や鎌倉幕府、また江戸幕府からも寄進を受け、長く多くの人々の信仰を集めて寺勢を保持し続けてきています。
この神武寺の薬師堂は、鶴岡八幡宮大工の手によって建てられた江戸初期の和風三間堂として重要な遺構とされ、
昭和60年(1985年)に重要文化財の指定を受けています。
また、市内には文化財を有する数々の寺院やお堂が残されていまが、
中でも神宮寺近くの山腹にある「山の根谷装飾横穴」は、奈良時代の墳墓で重要文化財です。
この横穴のように内部を全面に丹塗りにしてあるのは、古代寺院で天井を丹塗りにしてあったのを擬したもので大変珍しいものです。

さて現代にこの近辺で自分のお墓を探そうとすると、
市内の寺院の境内墓地および近辺に開設されている民営の霊園墓地などの中から選択をされて決めているようです。

逗子の交通アクセスとしては、JR横須賀線か京急逗子線です。
どちらの鉄道路線から市内に入った場合でも、京浜急行バスやタクシーを利用することで市内を回り、
目的地となる寺院墓地・霊園墓地まで進むことが可能ですので、
市内に入ってから寺院墓地・霊園墓地までの交通についての不安はありません。

石の武蔵家では逗子市及びその周辺でお墓をお考えの皆様のために、優良墓地情報を提供しております。
ホームページに記載されていない寺院墓地や霊園墓地もご紹介することが可能ですので、
逗子市及びその周辺でお墓をお考えの皆様はどうぞお気軽にご相談下さい。

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