本庄市のお墓
本庄市は埼玉県の北西部に位置する市です。人口はおよそ8万3千人。
北側には利根川が流れ、市内中央部にJR高崎線が、そして南部には関越自動車道と上越新幹線が東西に横断しています。
市街地はターミナル駅である本庄駅付近に集中しています。
また、駅の北側にある国道17号線を境として北部には畑が広がっており、逆に駅の南部方面に住宅密集地が広がっています。
北部は風を遮るものが無いため、秋冬では西風が強くなっています。
その一方で全域が内陸の台地となっているため、比較的安定した風土を持っています。
本庄市周辺には旧石器などの出土や、縄文時代・弥生時代・古墳時代の各時代に合わせた遺跡があることからもわかるように、
原始時代の頃より人が住んでいたと言われています。
平安時代に入るとこの地域を群雄割拠した武蔵七党の一つにして最大勢力を有した児玉党を構成する庄氏本宗家が当地に館を築き、
鎌倉時代に庄氏から派生した本庄氏がこの地に土着した事が地名の由来でもあります。
12世紀に入ると本庄家の4代目である庄太夫家弘が現在の本庄市栗崎の地に館を築くことで、
以降本庄家の領地となります。江戸時代には武家の領地として始まり、
その後の幕府の政策の都合からこの地は宿場町として栄えました。
江戸より22里、約90kmに位置し、利根川の水運の集積地としての地の利から、
18世紀には中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうちで最大の宿場町となっています。
明治以降は生糸、絹織物の産地として工場も建てられるようになりました。
秩父セメントを興しセメント王と呼ばれた諸井恒平もこの地の出身です。
また、ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と母親より教育されていたということですが、
『群書類従』を表した全盲の国学者塙保己一もこの地の出身です。
そんな本庄市及びその周辺でお墓探しを行う場合、家からお墓までの所要時間や距離といった要素が非常に重要です。
とくに公共交通機関利用で行けるかどうかも要チェック項目となります。
いつまでも必ず自分で車を運転してお墓参りに行けるとは限らないからです。
この点を考慮しないままにお墓を建てた場合、後からお墓参りにいけなくなったという事態になりかねません。
交通状況について調べてみると、鉄道路線はJR高崎線と連絡する本庄駅と、
八高線と連絡する児玉駅の2つがメインの路線となります。
それ以外にも平成16年(2004)に上越新幹線の駅である本庄早稲田駅があります。
駅から市内を循環する路線バスかまたはタクシー利用で、当市及びその周辺地域へのお墓参りに行くことになります。
石の武蔵家では当市及びその周辺でお墓探しを考えている皆様のために、優良墓地情報を提供しております。
ホームページに記載されていない寺院墓地や霊園墓地もご紹介することが可能ですので、
当市及びその周辺でお墓をお考えの皆様はどうぞお気軽にご相談下さい。