忠臣蔵
皆様こんにちは。
石の武蔵家システム担当のやまもです。
元禄15年の12月14日から15日にかけて、
大石良雄ら赤穂浪士が吉良義央邸に討ち入りが行われました。
皆様ご存知の通り忠臣蔵の日となっています。
この出来事を皆様は忠臣蔵と覚えていると思われますが、
忠臣蔵は元々は歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のタイトルとなっています。
勧善懲悪ドラマとして多少の脚色はなされてはいますが、
概ね歴史上に起きた出来事を再現したこの忠臣蔵は、
現在では日本人で知らない人はいないといっても良いでしょう。
この忠臣蔵という演目は実際に起きた赤穂事件の翌年である元禄16年の正月、
江戸山村座の演目が始めと言われています。
それ以降歌舞伎・浄瑠璃の人気題材として長きにわたり愛されてきました。
しかし当時はまだ江戸幕府の政権下であったため、
登場人物の名前は架空のものとされていました。
その後明治政府に政権が移ることで登場人物の名前は実名となり、
また忠臣蔵に派生した元禄快挙伝や義士銘々伝を始めとした作品も人気となります。
第二次世界大戦後には一時的に禁止されましたが、昭和22年には再開、
現在でもテレビドラマや映画等でも忠臣蔵の人気は衰える事を知りません。
しかし現在においても大元の発端となった、
浅野内匠頭が何故吉良上野介に切りかかったのかについてはわかっていません。
忠臣蔵のストーリーでは吉良上野介から嫌がらせを受けたのが原因と書かれていますが、
その詳細な理由についてもわかっておりません。
ただ、当時の殿中での刀傷沙汰は幕府内では理由の如何を問わず死罪でしたので、
何らかの理由があってこのような強行手段を取り、
その結果として赤穂浪士の討ち入りがあったのだという事は確かなようです。