千代田区の墓石

千代田区は東京23区のほぼ中央に位置し、首都機能や国家権力・行政、ビジネスの中枢が集まる日本の中心地であると言っても過言ではないところです。
区の中央には皇居があり、区全体のおよそ15%を皇居の緑地が占めています。
また、区域は江戸城の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址に当たる場所となっています。
千代田区の西側は武蔵野台地の東端にあたる台地で、東側は沖積平野です。
北部には神田川が東側に向かって流れ、日本橋川が三崎橋付近から分かれて流れています。
古来より荒川や利根川、多摩川の河口部に近く、日比谷入江があったことから、
この地域周辺は海と川を利用した水運の根拠地でした。
特に江戸時代には掘割沿いに河岸と呼ばれる流通基地が整備され、
様々な商業資本が多く進出し、問屋機能の集積が進みました。
明治時代に入ると国会や首相官邸等の国家権力の中枢が集中し、日本の立法・行政・司法の中心地となります。
また、明治23年(1891)に丸の内が三菱に払い下げられるようになると、政府機関などに隣接する形でオフィス街が建設され、
数多くの大手企業の本社が集まるようになり、現在でも大手製造業や大手総合商社などの巨大企業の本社はここに集結しています。

そんな首都東京の中心である千代田区内でお墓といえば、まず挙げられなければならないのは千鳥ヶ淵の戦没者墓苑です。
ただしここは墓苑とは言っても墓石が立ち並んでいるようなところではありません。
元々、わが国の幕末以来の戦没者を祀る場所としては、靖国神社があった訳でした。
しかし戦後になって国家神道がGHQによって否定され、靖国神社は新しく一宗教法人となり、
新憲法下では政教分離の原則により国家が一宗教法人たる靖国神社の慰霊行事にかかわることが困難となっていたことから、
国としての戦没者慰霊施設を造ることになりました。
一方、政府によって昭和27年頃 から、戦地での遺骨収集が開始されましたが、
収集した遺骨を氏名不詳で遺族にお渡しできないことが大きな問題となっていました。
そういったことから、実際の戦没者を慰霊する施設の建設までには、紆余曲折がありましたが、
昭和34年3月28日に戦没者墓苑は竣工し、先の大戦で戦没された軍人軍属、
一般邦人等の36万78柱(平成27年2月現在)のご遺骨が奉安されている施設となっています。

この千代田区周辺の都心で墓石を建てるための墓地を探そうとする場合は、歴史ある寺院が検討の対象となるでしょう。
かつての江戸の市街地の寺町でもあった神田や築地、両国、浅草等には今なお由緒あるお寺さんで納骨堂や墓地の分譲が行われております。
これらを結ぶ交通面では、地下鉄の四通八達に、JRやバス路線網など極めて優れた環境にあり、
どこに行くにも不自由が無いほど充実しています。これらを利用すれば千代田区周辺の、
墓石を建てた寺院等へのお参りについては大変快適であると言うことができます。

石の武蔵家では、この地域の寺院・霊園に墓石を建てたいとお考えの皆様に、
墓石を建てる上で重要となる寺院・霊園の優良墓地情報を提供しております。
どの寺院・霊園も石の武蔵家が自信を持ってオススメできる場所となっておりますので、
墓石を建てる際には、是非ともご相談下さいませ。

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