蓮田市の墓地
蓮田市は埼玉県の中央からやや東側に位置する市です。人口はおよそ6万2千人。
東西約4キロメートル、南北約15キロメートル、総面積27.28平方キロメートルの特徴的な細長い形をしています。
蓮田という地名の由来は、天平15年(743年)に諸国巡察のために聖武天皇の命により、
僧の義澄が派遣されてきて、当地で一夜を弥陀堂で過ごしたことに始まります。
その翌朝に、前方の沼田にはいっぱいの蓮の花が生い茂っていました。
その美しさに強く心を打たれた義澄がこの弥陀堂を蓮華院と名付け、
以来この地が「蓮田」と呼ばれるようになったということです。
今も市内の蓮田五丁目に現存する「蓮華院弥陀堂」が地名発祥の地なのです。
江戸時代の頃は見沼代用水と呼ばれる新田開発のために作られた灌漑農業用水が引かれ、
その豊富な水資源により稲作が盛んに行われていました。
この用水路は今の行田市付近にある利根川より取水され、そのまま足立区やさいたま市南区へと流れていく水路で、
埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水と並び、日本三大農業用水と称されていて、疏水百選にも選定されています。
この用水路のために干拓された見沼溜井を埋め立てた土地はその殆どを新田として打ち出され、これらは見沼新田と呼ばれました。
この流域には農業用地が広がり、稲作や果樹栽培がおこなわれていて、特にナシの栽培が多く、蓮田市の特産品です。
明治時代に入ると武州鉄道が開通し、それに伴い蓮田駅が開業した結果、
当駅を中心として市街地が形成されて現在の蓮田市の原型となりました。
この武州鉄道は大正13年(1924)から昭和13年(1938)にかけて、
埼玉県を拠点に現在の蓮田市からさいたま市岩槻区までを運行していた鉄道で、現在蓮田駅にはJR東北本線が通っています。
昭和47年に 市制施行により、蓮田市となりました。
この時の市名の蓮は、しんにゅうに点が二つあるものですが、
平成23年1月4日以降は、点が一つのしんにゅうである蓮の漢字へと市名を改めることになりました。
その理由はパソコンの変換で「はす」に「蓮」の字が出てこなからとのことでした。
今でも、蓮田駅の案内板他に、古い漢字の蓬田という字が使われているところがあります。
そんな蓮田市内やその周辺にある寺院墓地・霊園墓地などで、お墓探しを行う際には、
家から寺院墓地・霊園墓地までの距離や交通手段の確認が重要なこととなります。
いつまでも自家用車を自分で運転する事ができるとは限りませんから、
自家用車が使えなくなった後にも、公共交通機関利用で現地まで行けるかどうかも確認が重要なポイントの一つとなるわけです。
市内の交通状況について調べてみると、鉄道路線においてはJR東北本線が市内を縦断しており、
この路線が市内や都内への主要なルートです。蓮田駅は、上野駅まで移動するJR宇都宮線と、
新宿駅まで移動する湘南新宿ラインの2つのルートを通っているので、
この沿線上の寺院墓地・霊園墓地に向かう際には心強い味方となってくれます。
もちろん駅周辺には各方面へのバス乗り場のロータリーも完備されており、
市内各所へのお墓参りにはバス利用ないしはタクシー利用で支障なく通うことができます。
石の武蔵家では、蓮田市及びその周辺地域にある寺院墓地や霊園墓地をお考えの皆様のために、
石の武蔵家が自信を持ってご紹介できる優良墓地情報を提供しております。
蓮田市で墓地をお考えの皆様は、どうぞお気軽にご相談下さい。